東京地方裁判所 昭和29年(モ)15975号 判決 1956年5月18日
債権者 近藤規美 外一名
債務者 大島利菫
主文
当裁判所が、昭和二十九年(ヨ)第六九一八号不動産仮処分事件について、同年八月二十五日した仮処分決定を、次のとおり、変更する。
(一)債務者の目録(別紙)第一表示の建物部分(但し、別紙図面赤斜線部分を除く。)に対する占有を解いて、債権者等の委任する東京地方裁判所執行吏に保管を命ずる。執行吏は、その現状を変更しないことを条件として、債務者にその使用を許さなければならない。この場合においては、執行吏は、その保管に係ることを公示するため適当な方法をとるべく、債務者は、その占有を他人に移転し、または、占有名義を変更してはならない。
(二)債務者は、別紙物件目録第一表示の建物(全部)について、譲渡並びに質権及び抵当権の設定その他一切の処分をしてはならない。
訴訟費用は、債務者の負担とする。
この判決は、仮に執行することができる。
事実
第一債権者等の主張
(申立)
債権者等訴訟代理人は、主文第一項掲記の仮処分決定は認可するとの判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。
(理由)
(一) 別紙物件目録第一、第二表示の各建物(本件建物という。)はいずれも一棟の建物の一部分であり、第一表示の建物は第二表示の建物の階上に存在している。しかして、右の建物の敷地のうち北西部に位する東京都新宿区神楽坂三丁目二番の二十一宅地三十四坪九合七勺は債権者近藤規美の所有、中央部にある同二番の二十二宅地十七坪三勺は債権者鈴木清子の所有、残余の同二番の二十三宅地六坪六合三勺は債務者の所有である。
(二) 本件の建物は、もともと、白木屋がその敷地を安居某より賃借して建築所有していたものであるが、右の建物は昭和二十四年四月戦災により焼失し、鉄筋の部分のみが残つた。その後、東京都住宅営団が、これを買いとり、敷地の所有者である安居某との間に賃貸借契約を締結しないまま、別紙第一、第二表示の建物を建築した。そして、住宅営団は、昭和二十一年十二月頃、債務者近藤に右建物の階下向つて左側(物件目録第二の(一)表示の部分)を、鈴木鉱太郎に階下向つて右側(物件目録第二の(二)表示の部分)をそれぞれ賃貸し、債権者近藤及び右鈴木は、翌年一月から三月にかけて、内部の改造、造作等をし、債権者近藤はパーマネント営業を、鈴木は喫茶営業をそれぞれ開業した。なお、本件建物の二階(物件目録第一表示の部分)の建築は、階下(同第二表示の部分)の建築より遅れて完成したが、住宅営団は、右二階の建築完成後、物件目録第一の(一)及び三表示の各部分を高橋克明に、同(二)表示の部分を加藤孝之に、同(四)表示の部分を浅沼三郎に、同(五)表示の部分を右三名に賃貸した。その後、昭和二十三年に至り、住宅営団が閉鎖機関に指定されたため、本件建物は賃借人の占有部分に応じて払い下げられることとなり、前記の各賃借人は、それぞれ従前の賃借部分の所有権を取得した。かように住宅営団が一棟の建物の各部分を、居住部分に応じて居住者に払い下げたのは極めて変態的現象であるが、これをあえてしたのは、全く居住者の居住権の安定を慮るの一途に出たのであり、これを更に転々譲渡し、あるいはほしいままに改造を許す等、敷地の所有権者又は階下建物所有者の制約をうけないで、自由に所有権の内容に従つた権利行使ができる趣旨でないことは明らかである。ことに、建物の構造上、階上の階下に与える影響が甚大であること及び二階建物の構造自体が長期間たえうる性質のものでない等の点から、一時的に二階居住者の居住の安定を図つたものにすぎず、長期にわたつて、このような変態的生活関係を存続せしめる趣旨でないことは明らかである。
(三) しかるに、債務者は、昭和二十九年三月一日、別紙物件目録第一の(一)表示の建物部分を所有者である高橋克明から、同月十五日、同(二)及び(三)表示の建物部分を加藤孝之及び高橋克明から、同年七月一日(四)及び(五)表示の建物部分を浅沼三郎、加藤孝之、及び高橋克明から土地所有者である債権者等の同意を得ないで買い受け物件目録第一表示の建物の所有権を取得した。
(四) しかして、債務者は、本件建物の階上である物件目録第一表示の建物を所有することによつて、本件建物の敷地である債権者近藤及び同鈴木清子の所有にかかる土地を不法に占有している。よつて、債権者両名は、右敷地の所有権に基き、債務者に対し、右家屋収去、土地明渡請求の本訴を提起すべく準備中である。もつとも、債権者両名の有する敷地所有権は、前記(一)掲記のように、本件建物の敷地の全部ではなく、右敷地の合計五十八坪六合三勺のうち五十二坪は債権者両名の所有であるが、残余の六坪六合三勺は債務者の所有であり、物件目録第一の(一)、(二)及び(五)表示の建物の一部は債務者の所有土地上に存在する。したがつて、右部分すなわち、別紙図面赤斜線部分は、債権者等の所有土地上にはなく単に図面上からだけいえば、債権者等は、この部分については収去請求権を有しないといわざるを得ないが、本件の建物は、もともと一棟の建物であり、右部分は、構造上、他の部分と独立して所有権又は占有の対象となり得ないものであり、登記簿上も、他の部分と合せて、それぞれ一筆の建物として登記されているものであり、債権者等は、右部分を含む各建物について、収去を求め得るものである。
(五) しかるに、債務者は、本件建物の二階を買いうけてのち、これを大々的に改装して多数の室を設け、簡易アパートのような構造にして、これを更に譲渡したり、他人に賃貸しようとしている。
よつて債権者等は所有権に基く土地明渡、建物収去の本案判決の執行を保全する等のため東京地方裁判所に仮処分の申請をし(同庁昭和二十九年(ヨ)第六、九一八号事件)、本件建物の占有移転禁止並びにその処分禁止を命ずる主文第一項掲記の仮処分命令を得たが、(その後共同債権者鈴木鉱太郎はその申請を、債権者近藤規美は、建物所有者としての申請を、また、債権者等は看板の取外し等に関する申請を、それぞれ取り下げた。)右の決定は相当であり、いまなお維持する必要がある。
(六) なお、債務者について、その主張するような特別事情のあることは争う。
第二債務者の主張
(申立)
債務者訴訟代理人は、主文第一項掲記の仮処分決定は、取り消す、債権者の仮処分申請は却下するとの判決を求め、その理由として次のとおり述べた。
(理由)
(一) 債権者等主張の(一)の事実並びに(二)、(三)及び(四)の事実中債務者が債権者等主張のような経緯で、物件目録第一表示の本件建物の階上部分の所有権を取得したこと、債権者近藤規美、鈴木鉱太郎が別紙目録第二表示の各建物の所有権を取得したこと及び債務者の建物のうち債権者等主張の部分が、債権者等の所有土地上に存することは、いずれも認める。
(二) 住宅営団は、本件建物を建築するに際し、敷地の所有者である安居某との間で契約を締結し、地上に建物を建築するについての土地使用権を取得していた。その後、本件建物の建築が完成してのち安居某は財産税納付のため右の敷地を大蔵省に物納した。したがつて、大蔵省は住宅営団のため設定せられた前記の使用権の附着した土地所有権を取得したものであるが、この土地使用権は、元来、住宅営団と安居某との前記契約により発生した権利ではあるが、債権ではなく、住宅営団から爾後本件建物の所有権を取得した者においても、敷地所有者に対抗し得る権利であり法定地上権的性質を有する権利である。債権者近藤及び同鈴木清子は、大蔵省より本件建物敷地のうち債権者等主張の(一)の部分の払下げをうけ債務者は債権者等主張のような経緯を経て本件建物の二階(目録第一表示の部分)の所有権を取得したもので、右二階の所有権を取得した債務者は、所有権取得と同時に、住宅営団が元来有していた土地使用権を高橋等より承継取得したものであるから債務者の右二階の所有は前記の土地使用権に基く適法なものである。
(三) 仮に右(二)の主張が理由がなく、前記使用権が債権であるとしても、債務者が本件建物の二階部分の所有権を高橋等より取得し、右建物の敷地を使用するについて、債権者近藤、同鈴木清子、両名の代理人である鈴木鉱太郎は、昭和二十九年七月二十二日債務者に承諾を与えているから、債務者が右所有建物によつてその敷地を占有することは何ら不法ではない。
(四) 債務者所有の二階の建物は、債権者近藤及び鈴木鉱太郎所有の目録第二表示の家屋の鉄筋コンクリート柱のうえに、その土台を据え、これに床を張つて建築されており、又階下の債権者近藤等の電灯に用いられた配線はこの床を利用し、更に天井もこれによつて吊られている。そして、階下建物には屋根はなく、債務者の建物の屋根が両者の共有の関係にある。東京都住宅営団が、本件建物を、その居住者に区分譲渡したのは、債権者等主張のような理由によるものではなく、このような構造をもつ一棟の建物の各部分を、それぞれの居住者に譲渡し、分筆登記をし、もつて、極端な住宅難にあえぐ都民の生活の安定を得させようとしたのであるから、東京都住宅営団から右区分所有権を取得した者は、建物の敷地所有者の同意の有無にかかわらず、独立して区分所有権の処分行為として、これを第三者に譲渡し得べく、債務者は、かような区分所有権を有する高橋外二名から本件建物部分の所有権の譲渡を受けたのであるから、その敷地所有者で債権者等から、その所有土地上にある本件建物部分についても、その収去を請求されるいわれはない。
(五) 債権者等が敷地の所有権に基き本件建物部分の収去明渡を請求するのは権利の濫用である。すなわち、
(い) 債権者の主張を是認することは、東京都住宅営団が住宅難に苦しむ都民に住宅を与えるために居住者に居住部分の所有権を譲渡した趣旨に反する。
(ろ) 本件建物の構造が前記のとおりであり、屋根その他の修繕も債権者等と債務者が共同してするのでなければ、到底現実の生活ができないようになつているにかかわらず、敷地の所有権が債権者等にあるというだけの理由でその明渡収去を請求するのは、明らかに権利の濫用である。債権者等としては、債務者の建物が、債権者等の所有建物又は所有土地のうえに存在する関係については、適法な手続で、まず、その使用料を訴求すべきである。
(は) 債権者等は債務者の建物が、債権者等の土地又は建物上に存在することは、その所有権取得当時から知つていたものであり、債務者が、たまたま、この売買に当り明確に債権者等の同意を得なかつたからといつて、その収去を求めるのは、法律的根拠に乏しい。みずから安価に買収できなかつたから、このような請求をしているにほかならない。
(に) 債務者は、前記(二)記載のように敷地の使用権を承継しており、これを無視して何等の占有権原がないとするのは不当である。
(本件仮処分を取り消すべき特別の事情)
(六) 債務者は、本件建物を買い受けるや、昭和二十九年八月二日から、その修繕工事に着手し、同年九月上旬から貸室にして収益を挙げようとしていたところ、同年八月二十八日突如債権者等から本件仮処分の執行を受け、十数室に及ぶ貸室を他人に貸すことができなくなつたため、債務者は莫大な損害を蒙るに至つた。すなわち、本件建物を貸室とする場合は、畳一畳について月一千円の賃料が相当であるから、全部で四十六畳半、一カ月の賃料は合計四万六千五百円にのぼる。仮に賃借人の出入りがあるため、賃料の一割に相当するロスがあるとしても、一カ月優に四万一千八百五十円の収入を挙げ得るはずであるが、債務者は、本件仮処分によつて、この賃料を得ることができない。これは債務者にとつて回復できない異常な損害である。他面、債権者等の蒙る損害は、ひつきよう金銭をもつて十分償うことができる性質のものであるから、債務者にとつては、本件仮処分を取り消すべき特別の事情があるものというべきである。
第三疏明関係<省略>
理由
(当事者間に争いのない事実)
(一) 本件建物の敷地のうち、北西部にある東京都新宿区神楽坂三丁目二番の二十一宅地三十四坪九合七勺が債権者近藤規美の所有、中央部にある同二番の二十二宅地十七坪三勺が債権者鈴木清子の所有、残余の同二番の二十三宅地六坪六合三勺が債務者の所有であること。
(二) 本件建物は、別紙物件目録第一及び第二表示の各建物が上下合体して一棟をなすもので、同第一表示の部分は、同第二表示の部分の鉄筋コンクリート柱上に土台を据え、これに床を張つて建築されているものであること。
(三) 債権者近藤規美、鈴木鉱太郎及び債務者は、債権者等の主張するような経緯により、それぞれ債権者等の主張する建物(部分)の所有権を取得し、かつ、それぞれ右権利関係の移転に相応する手続を経たこと。
(四) 債務者所有の別紙物件目録第一表示の建物は、別紙図面赤線表示の部分は債務者所有の土地にあるが、その余の部分は債権者等の所有土地に存在することは、いずれも当事者間に争いのないところである。
(債務者は債権者等の所有の土地を占有する権原を有するかどうか)
前掲当事者間に争いのない事実によれば、債務者所有に係る別紙物件目録第一表示の建物の敷地五十八坪六合三勺のうち北西部計五十二坪は債権者等の所有に属するのであるから、債務者は右五十二坪の範囲内において、債権者等所有の土地を占有することとなるのであるが、債務者は、次にかかげる三つの理由を挙げて、債務者において右土地部分を占有すべき権原があると主張する。よつて、以下それぞれについて考察するに、債務者は、まず、
(一) 債務者は、東京都住宅営団が有していた右土地の使用権(法定地上権的性質を有する権利)を前主高橋克明等を経て承継取得したと主張する。
いわゆる「法定地上権的性質をもつ土地使用権」とは、どんな権利を指称するものか必ずしも明確といい難く、いうところは結局、本件の場合においては、民法第二百八十八条の規定が準用さるべきであるとする趣旨と解するほかないが、前段説示の本件建物の所有権移転の経緯に照らし、右について前記法条の適用はもち論、準用の余地もあり得ないことは、右法条の趣旨及び物権法定主張をとるわが民法の建前からいつて、明白なことといわなければならない。また
(二) 債権者両名の代理人鈴木鉱太郎が右土地使用について債務者に同意を与えたと主張し、乙第一、第二、第十号証及び債務者本人の供述(第一回)を綜合すると、右主張事実を肯認し得るかのようであるが、右乙号証の記載は明確を欠き、また債務者本人の供述部分は、取下前の債権者鈴木鉱太郎の供述に比照して、にわかに措信し難く、他にこれを認めるに足る明確な疏明はない。
(二) 債務者は、東京都住宅営団が本件建物のような特殊の構造をもつ建物の部分を独立して区分譲渡したのであるから右区分所有権を承継取得した債務者は右建物の敷地を占有し得る旨主張する(債務者の主張の項(四))。本件のような構造をもつ建物について階上、階下等を別々の所有権の対象とし得べきことはいうまでもなく、それは一種の区分所有権というに妨げないものといえようが、上下にわたる建物部分について区分所有権が是認されるからといつて、当然に、その敷地の使用権が発生するものといえないことは、横につながる建物の区分所有権の場合(たとえば平家の棟割長屋のような場合)と何ら撰ぶところのないことよりして、多くの説明を要しないところであろう。
以上説示したとおり、債権者等所有の土地を債務者において占有すべき権原があるとして、債務者の挙示するところは、すべて理由がなく、他に債務者が右権原を有することについて何らの主張も疏明もない。したがつて、本件において明らかにされた事実関係のもとにおいては、債務者は、正当の権原を有することなく、その所有建物の敷地にあたる債権者等の土地を占有するものというべく、債権者等は、債務者に対し、右土地の所有権に基き、右土地の上部に存在する債務者所有の建物部分(別紙物件目録第一表示の各建物のうち別紙図面赤斜線表示の部分を除くその余の部分)の収去及び右土地明渡の請求権を有するものということができる。
(本件仮処分の対象となる建物の範囲)
債権者等は、債務者所有の建物のうち別紙図面赤斜線表示の部分が、その所有土地の上部には存在しないことを認めつゝも、債権者等は、右部分を含む各建物の全部について収去の請求権を有すると主張する。しかしながら、土地所有権は、土地の上下に及ぶに過ぎないのであるから、債権者等所有の土地の上にない建物部分については、たとえ、その構造上、その部分だけ独立して存在することができないような場合においても、その収去を求め得ないものと解さざるを得ない。(したがつて、各債権者は、それぞれ、その所有土地上に存在する建物部分についてのみ収去を求め得るに過ぎないが、債権者等が共同して仮処分を申請している本件においては、この点を明確にする要を見まい。)とくに、本件建物におけるように、債権者等の所有土地上に存在するとは認められない部分には、建物の一部とはいえ、独立して占有を移転し得る室を含む場合においては、債権者等の主張するような見解に立つて、右部分をも含めて占有移転禁止の仮処分命令の対象とすることは、理論上も、実際上も、当を得ないものといわなければならない。
しかしながら、本件仮処分申請中いわゆる処分禁止を求める部分の対象については、右と同様に論ずることはできないものと考える。蓋し、前掲当事者間に争いのない事実及び口頭弁論の全趣旨に徴すれば、本件建物の構造上、前記赤斜線表示の部分は、他の建物部分と分離して処分の対象となることは著しく困難であり、現に他の部分と合せて各一筆の建物として登記されており、社会通念上、右部分だけを独立の不動産と見ることができないからである。したがつて、この点については、債権者の主張は、結局、理由があるものということができる。
(債権者等の主張は、権利の濫用であろうか。)
債務者は、債権者等の所有権に基く明渡請求は、権利の濫用であると主張する(前掲債務者の主張(五))。すでに考察したような経緯で、前に掲げたような構造をもつ本件建物を取得した債務者に対し、この敷地にあたる土地を使用すべき権原又はその発生原因としての明確な約定がなかつたことを理由に、その明渡を求めることは、債務者に少なからぬ苦痛と困難を与えるものであることは、推察に難くないところであるが、債権者等の右請求権の行使が権利の濫用として法律上許されないものであるとすべき事情は、本件においては疏明されなかつた。
本件土地の使用については、東京都住宅営団がその土地建物を各居住者に分譲するに当り、つとに明確な取りきめをしておくことが望ましいことであり、その営団としての立場上まさにとるべき措置であつたかにかかわらず、事ここに出でなかつたため、その建物(部分)の承継取得者である債務者が、後に至り少なからぬ迷惑を余儀なくされるに至つたことは、同情に値することではあるが、その敷地について明確な使用権原を有しない以上、他人の所有土地を無権原で使用することは、いかなる場合においても、法律上は許されない事柄であるから、また、やむを得ないところというべく、これを請求するからといつて、それをもつて、直ちに権利の濫用ということはできない。
(本件仮処分を取り消すべき特別の事情があるか)
債務者本人尋問の結果(第二回)によれば、債務者は、親戚、友人等から援助をうけて本件建物を前所有者から買いうけ、これを改造して貸室営業をしようしていた矢先、本件仮処分の執行をうけたため、二階十四室を賃貸することができなくなり、このため一カ月一畳につき千円と予定していた賃料(合計約四万円)を挙げることができなくなつたばかりでなく、六畳一室について二万円と見込んでいたいわゆる札金もとれなくなつたため、借金の利息の支払にも難渋を極めていることが、一応、推認される。しかしながら、このような事実は、債務者は本件仮処分執行後本件建物の一部を利用して、教師を頼んで附近の芸者に踊りを教えさせて若干の収入をあげており、右建物の三階四室を賃貸しているほか、他に四軒の借家をもち、かつ、他の場所で糸店及び映画館の売店を経営するなどしている事実(これらの事実は前掲債務者本人尋問の結果から窺える。)と合せ考えると、いまだもつて本件仮処分による異常な損害とは認め難く、他面、債権者等の蒙ることあるべき損害も将来金銭による補償が目的を達し得るものとも必ずしもいい得ないものと考えられるから、債務者に右に掲げたような損害が生じつつあるからといつて、本件仮処分を取り消すべき特別の事情があるものということはできない。
(むすび)
以上説示したとおり、本件において疏明された事実関係のもとにおいては、債権者等の本件仮処分申請は、主文に掲げた保全命令を求める範囲においては理由があるものということができる。よつて、当裁判所がさきにした仮処分決定は、主文掲記のとおり変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十五条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅正雄 栗山忍 柳川俊一)